2010年4月30日金曜日

続々・ サン・ワン諸島のフリッカたち


シアトルのフリッカ、トゥーカンがロペズ島で出会ったフリッカ、[ロウディー]




トゥーカンのサン・ワン諸島クルーズ(2009年6月)航路。






諸島の詳細は [グーグル・マップ] で。

(写真上はPSC製434艇中314番目 Rowdy です。)
トゥーカンのホームページ

2010年4月29日木曜日

トトロ進水

好天に恵まれた4月24日土曜日、[トトロ] が新木場のサノマジックから移動して進水した。

きれいになった船体で凛とした姿を見せるトトロ。

バウスプリットやプルピット・プラットフォームはサノマジックの新作。



航海灯もこの位置だと視認性が高い。

職人佐野末四郎氏。

末四郎氏の手の入ったフリッカは世界でトトロがひとつ。





英語で "Better than new" という言葉があるが、こういう時に使う言葉かも知れない。

大き過ぎず、小さ過ぎず、居心地良い空間。

アイボリーの合皮のクッションも新作。




IHコンロを組み込んだ見事なギャリーのトップ。マホガニー製。デザインも仕上がりもさすがにサノマジックだ。




マホガニーは年月の経過とともに赤みが増してさらに深い輝きが出てくる。

フリッカ・フォアエヴァー。

(写真はいずれもPSC製434艇中360番目 Totoro です。)
日本のヤフー!フリッカ・グループ

2010年4月28日水曜日

続 ・ サン・ワン諸島のフリッカたち

トゥーカンのサン・ワン諸島クルーズ(2009年6月)の続き。

諸島北部オーカズ島のさらに北にあるスチア島沖に錨泊中のトゥーカン。ここはワシントン州立公園。


スチア島で出会ったフリッカ、アイシャ。







アイシャは南カリフォルニアからパシフィック・ノースウエストまでトレイラーで引っ張って来たそうだ。同海域を2ヶ月かけてじっくりクルーズするのだという。

[マイラのドジャー] までは行かないが、このアイシャのドジャーも低い。この高さならブームを高く設定し直すことも不要だ。

スターンにはソーラー・パネル、フォア・デッキにはディンギー。長期クルーズには欠かせない。

(写真上はPSC製434艇中340番目 Toucan、下は番数不明 Isha です。)
USヤフー!フリッカ・グループ

2010年4月27日火曜日

4月25日日曜日 (Video)

暑く、直射日光のきつい一日。午後2時くらいからサンフランシスコ湾夏定番の西風が吹き始めた。

* 画面が黒くなっている場合でも、スタート・ボタンをクリックされ度。
* Click "Start" button on the viewer, even when it shows nothing but pitch black. Video will play.



7.5~9.5ノットの風、約2ノットの逆潮で、対地艇速は2.7~3.0ノット。

(ビデオはPSC製434艇中295番 Serenity です。)
日本のヤフー!フリッカ・グループ

2010年4月26日月曜日

サン・ワン諸島のフリッカたち

シアトル・バンクーバー間にあるサン・ワン諸島の様子はこれまでも何回か出てきたが、やはり夏期クルーズのメッカのようだ。

2009年6月、トゥーカンは17日間275マイルのサン・ワン諸島クルーズに出かけた。



途中、別に会う約束をしていた訳ではないが、他のフリッカたちに巡り合っている。

この艇はフライデイ・ハーバーに錨泊中のウィンドワード・ピルグリム。





ディンギーに乗ってドックに向かっているのはリブ・アボードしているオーナーのジョン・ヘイズン・Jr。

ジョンはウィンドワード・ピルグリムでハワイ・タヒチ間の往復と、それに続くシアトルまでの航海をシングルハンドしたベテランである。その時使った自動操舵用のウィンドヴェインは$200以下で自作したものだった。

(写真上はPSC製434艇中340番目 Toucan、下は022番目 Windward Pilgrim です。)
フリッカ・フレンズ1995年秋号に掲載されたウィンドワード・ピルグリムのタヒチ行

2010年4月25日日曜日

売りに出されたトゥーカン

しばらく [シアトルのロンのサイト] がアップデートされていないと思っていたら、ヨットワールドでトゥーカンが売りに出ていた。

スターンにスイム・ラダー、コックピット周りにシールド(風・スプレイ避け、視線避け)の付いたトゥーカン。




レイルに付けたUFOみたいなものはバーベキューである。

典型的なシアトルの空。

ドジャーも付いて、寒く、雨の多いパシフィック・ノースウェスト仕様と言って良い。


ダブル・ヘッスル(ジブ+ステイスル)とメインで疾走。

メインはレイジー・ジャック付き。





セイルボートは艇長が長くなるにつれ、ボリュームは3次元的に大きくなる。また、メンテ、維持コスト、艤装・計器・備品類などの費用、ハンドリングに必要なクルーのサイズも、すべて3次元的に大きくなる、という昔からの法則がある。このためフリッカにダウンサイズして来たオールド・ソールトも数知れない。

トゥーカン・オーナーのロン夫婦はフリッカに約4年半乗っていたわけだが、季節を問わずノースウェスト各地をクルーズして楽しんでいた。二人で遠洋の長期クルーズをするにはフリッカは小さすぎるとかで、タ・シンの [パンダ38] 等を探していたようだから、いよいよムーブ・アップすることにしたのだろう。

(写真はいずれもPSC製434艇中340番目 Toucan です。)
www.yachtworld.com SEARCH ボタンの上の欄に Flicka と入力して検索するとリストアップされます。

2010年4月24日土曜日

Before & After

長年フロリダの熱い太陽に曝されたフリッカを購入した新オーナーは1990年代末に徹底的なリストアを行った。

[Before] 購入前のディーラー提供の写真。















[After] 購入してリストア後の同艇。実は昨日見たモウジョウだ。

ポート(窓)はプラスチック製だったので [ニュー・ファウンド・メタルズ] から購入のブロンズ製に換装した。












キャビン側。各舷とも前方の2個は、ポートの厚みに合わせるため、この様にティークのスペイサーを入れて装着。

このポート換装の様子は [フリッカ・フレンズに紹介] されている (表紙+8~12ページ)。

(写真はいずれもPSC製434艇中209番目 Mojo です。)
フリッカ・フレンズ・ニューズレター一覧

2010年4月23日金曜日

五大湖のモウジョウ

ウィスコンシン州は五大湖の中、東はミシガン湖、北西はスペリオル湖に面している。そのどちらかで帆走を楽しむモウジョウ。

風は4~5ノットだろう。
















(写真はどちらもクリックで拡大。)

こちらは約3ノットの風。
















モウジョウについては今までに何回か取り上げた。

このブログ左上の白いフィールドに モウジョウ と入力、Enter を押すか、虫眼鏡アイコンをクリックすると、本日の記事の下に今までのモウジョウに関するログが表示されるので参照され度。

(写真はいずれもPSC製434艇中209番目 Mojo です。)
フリッカ Kittiwake のオーナー、ハルのサイトにある Mojo の写真集

2010年4月22日木曜日

2006年2月、大分県別府市から沖縄県宜野湾市まで回航中、九州・四国間の豊後水道を南下する頼 (たのもし)。














(写真はPSC製434艇中104番目、沖縄の Tanomoshi です。)
http://picasaweb.google.co.jp/ORCASLIT

2010年4月21日水曜日

マイラのバウスプリット

マイラはパシフィック・ノースウエストのフリッカ。場所柄年中湿気が多いのでバウスプリットも腐りやすい。

イエロー・シーダーを使って自作した新しいバウスプリット。

ファクトリー・オリジナルと比べると、長さと幅は同じだが、高さがちがう。上部が少し(約15mm?)高くなっているのが分かるだろうか。







高くしたのは、プラットフォームを取り付けるスルー・ボルトを通す孔3個の位置をファクトリー・オリジナルより木の中心部に来るようにしたかったためという。

下の白いペイントを塗布したものがファクトリー・オリジナル。素材はダグラス・ファー(オレゴン・パイン)。


ダグラス・ファーの方が堅いが、イエロー・パインにしたのは、イエロー・パインがティークと同じくらい腐り難いのが理由という。仕上げは透明の方が腐食を目視しやすいのでニスを塗布した。

横から見たところ。高くした分、強度も増したことだろう。









尚、セレニティーのバウスプリットは今年の夏で満26年になるが、白いペイントを塗ったファクトリー・オリジナルのままだ。ハンク式ジブなので毎週プラットフォームの上、またはバウスプリット上に直に全体重を掛けて作業しているが、びくともしない。(特にジブを畳んでセイル・カバーを被せる時はプルピットの一番前方に乗る。)

ただ、CQRアンカーが20年以上プラットフォーム右舷側に載ったままだったので、右側のプラットフォームが2~3度右に傾いていた。2~3年前に取り外してから水平に戻った。昨日のTotoro のようにブルワークスの上、プラットフォームとの間にライザーを入れ、下からサポートしてやるとアンカー重量によるたわみもないかも知れない。

(セレ二ティーでは今プライマリー・アンカーに [バブル・アンカー] を使用している。)

(写真はいずれもPSC製434艇中、番数未確認 Mira です。)
フリッカ・ホームページのデータベースにある同艇の紹介

2010年4月20日火曜日

TOTORO @ SANOMAGIC

佐野末四郎さんのサノマジックでリストア中のトトロ。

ピカピカになったトトロ。

バウスプリットはサノマジックならではのマホガニーでの新作。





スキャントリング(木の寸法)を大きくしてビーフアップされたのが分かる。プラットフォームは横付けではなく、デイナのようにバウスプリット上に乗るタイプに変更。

ブルワークスのレイル上にマホガニーの大型ライザーを装着し、プラットフォームの座りを良くしているので、びくともしない。



船体への取り付けはスルー・ボルト+ナットだが、デッキ裏側のバッキング・プレートとデッキの間にも補強用の木のスペイサーを入れ、万全にした。

プラットフォーム下のバウスプリット、またプラットフォームの後端など、アンカーやアンカー・シャンクが当たる部分はSSプレイトでしっかり保護されている。

この2枚の写真だけではまさに新艇に生まれ変わったと言って良いトトロの様子が分かりにくいかも知れない。サノマジックのアップデート頁で他の写真もじっくり見て欲しい。 [左側のサムネイルの列] 後半(下)に並んでいる。全13枚。

(写真はいずれもPSC製434艇中360番目 Totoro です。)
日本のヤフー!フリッカ・グループ

***

お詫び: 昨日のログ中、当時クリーロック37も建造していた、とあったのは誤り。ビンガムは記事中でクリーロック34も建造していたと思うと書いているが、それもマチガイ(34 は37よりも後)。フリッカはPSC25、マリアに次ぐ、PSC3番目の艇。

『PSCは当時その他、モーシラット設計のPSC25 (1975~) と マリア (1977~) を建造していた。フリッカはPSC3番目のプロダクション・デザインである。』 が正しい。

2010年4月19日月曜日

PSC フリッカ # 001

1978年4月、パシフィック・シークラフト(PSC) 製フリッカ第1号が南カリフォルニアのニューポート・ビーチで進水した。

デザイナー、ブルース・ビンガムが撮影したハル#1。

大人6人が乗っている。ブルースは当初僚艇のPSCマリアからフリッカの帆走を観察、撮影、後でフリッカのクルー一人と交替する形でフリッカに乗艇した。

ヘッスルにフリッカと大書きしてあるのはPSCの創始者・社長ヘンリー・モーシラットのアイデア。かなり宣伝になったらしい。





しかし、宣伝自体は [前年の77年から始め]、受注も開始していたので、この時サンタ・アナの工場では既にフリッカ3艇を建造中、バック・オーダーも12艇ほどあったという。

PSCは当時その他、モーシラット設計のPSC25 (1975~) と マリア (1977~) を建造していた。フリッカはPSC3番目のプロダクション・デザインである。

この写真は同日のPSCのエンジニア、ビル・ルーサー。












ビンガムがサンタ・バーバラで設計事務所を持っていた時の製図担当で、PSCとビンガム間のフリッカ建造のライセンス契約、およびノー'スターからのフリッカ・ハルのモールド購入を取りまとめた。

バウスプリット、プラットフォームなどを含む、PSCフリッカのデッキの全て、さらにキャビン内を設計したのもビルである。PSCフリッカの成功はビルに負うところが大きい。

***

* 後日註 : PSCはこれに先立ち、ハル・モールドをノー’スターから引き継いでフリッカの生産を始めた。その意味で本当のPSC製1号艇は [このリンク先の艇] である。従って正式には表題の#001は間違い。本日の写真の艇の実際のハル番号は不詳。

(写真はPSC製434艇中PSC製モールドを使った第1番のフリッカです。)
『フリッカ・フレンズ』 ニューズレター、22~26ページ参照

2010年4月18日日曜日

海上でのんびり (Video)

4月17日(土)、1:30PM頃、凪。1~2ノット吹く時は東風。北に針路を取っているのだが、弱い満ち潮で艇速は対地0ノット。

* 画面が黒くなっている場合でも、スタート・ボタンをクリックされ度。
* Click "Start" button on the viewer, even when it shows nothing but pitch black. Video will play.



用事があるので早く切り上げたが、帰港して5分も経たない2:30PM頃、急に西から10ノット吹き出した。夏パターンだ。

来週末から1:30~2:00PM頃の出航で2~3時間のデイ・セイルにしよう。セントラル・ベイに行く予定がなく、サウス・ベイだけだったら、風さえあれば潮がどうだろうとそれで十分だ。

(ビデオはPSC製434艇中295番 Serenity です。)
日本のヤフー!フリッカ・グループ

2010年4月17日土曜日

カタリナ島

ロサンジェルス南端から約22マイルのところにあるサンタ・カタリナ島。南カリフォルニア沿岸各地からセイルボート、パワーボートの集まるクルージングのメッカだ。












2002年5月、恒例のPSC [イスマス・コウヴ] ランデブーに集まった7艇のフリッカの中6艇。

このランデブー、近年耳にしないが、PSC がノース・カロライナに移って以降途絶えているのかも知れない。

(写真はPSC製434艇中の6艇です。)
フリッカ・ホームページ

2010年4月16日金曜日

ソーラー・ウィンド

PSCがこのフリッカのハルをモールドから取り出したのが1988年、艇が完成したのは翌89年。

その年、初代オーナーがマイアミ・ボート・ショーで購入、トラヴェラー (Traveler) と名付ける。8年後の97年12月、2代目オーナーの手に渡り、ディー (Dee) と名を変える。2000年2月、3代目オーナーのソーラー・ウィンドとなる。

2001年10月頃、フロリダ州マラソンの陸置場から下架するソーラー・ウィンド。















下の写真は同年6月、フロリダのキー・ウェストから西へ約30マイルの [マーケッサス・キーズ] へクルーズした時の一コマ。

上の写真で下架した時は、またこのようなクルーズをゆっくり楽しもうとしていたにちがいない。




しかし、同年10月下旬~11月上旬、フロリダ・キーズを襲った70~80ノットの嵐の中、錨泊していた隣の45フィートのケッチが走錨、ソーラー・ウィンドに体当たり、ソーラー・ウィンドはハルは無傷だったが、衝突でバウ・スプリットが折れ、全スタンディング・リギングを破損。

保険会社に全損として扱われ、保険会社はオーナーに満額払いをした後、引き取った艇をオークションで売り払った模様。その後この艇がどうなったかは不明だが、どこかで生きていることは十分考えられる。

(写真はいずれもPSC製434艇中、番数未確認、1988年製 Solar Wind、旧 Traveler、Dee です。)
ソーラー・ウィンド・オーナーのサイト

2010年4月15日木曜日

ソロマ

2001年頃、前オーナー(2代目?)がヘルムを取って、テキサス州ギャルヴェストン湾を帆走する1993年製フリッカ、ソロマ。

2006年新オーナーの手に渡り、エリスと名を変え、今は [オハイオ河をベースに] している。











この写真でヘルムを取っている女性は 『私がソロマのオーナー、というよりソロマが私のオーナー』 と冗談を言っていた。あれこれケアーする身になると、艇か自分か、どちらがオーナーなのか分からなくなる時がある、ということだろう。でもケアーはお互い様。艇をケアーすればするほど、艇が自分をケアーしてくれる。

(写真はいずれもPSC製434艇中420番目 Elise、旧Soloma です。)
USヤフー!フリッカ・グループ

2010年4月14日水曜日

キリ

シアトルのあるパシフィック・ノースウエスト海域はパシフィック・シークラフト艇が多い。

1983年製フリッカ 『キリ』 。










下の写真はポート・タウンゼントで行われた1999年6月の「パシフィック・シークラフト+エリクソン」のランデブー。(当時はエリクソンもPSCがモールドを買い取って生産していた。)

画面右端がキリ。





左に見える最後尾の艇は [アメリカン・パイ]

(写真上はPSC製フリッカ434艇中241番目 Kiri、下はクリーロック34などを含む1999年ランデブー参加艇の一部です。)
⇒ フリッカの リグスペック

2010年4月13日火曜日

ティーク・ワーク

ある自作フリッカ、手作りのティーク・ワーク。

コックピット・ラザレット(ロッカー)のフタ。









フォアワード・ハッチ、シー・フッド、コンパニオンウェイ・ハッチ。

両舷とスターンに見えるトウ・レイルも無論手作り。

写真にはまだないが、この後キャビントップにハンド・レイル(手すり)も装着。








ドロップ・ボード、コンパニオンウェイ・トリム、コンパニオンウェイ・ハッチ、シー・フッド、バウのプラットフォーム。

バウスプリットはシトゥカ・スプルース。









このフリッカは1974年末17歳の高校生が雑誌ラダーからフリッカの図面を購入し、ハルのモールドづくりから始めた。4年後、大学を卒業する頃、やっとファイバーグラスのハルができた(殆ど夏休みだけの作業、他の時期は資金づくりのアルバイトと学業)。

その後、工程を短縮するため、1978年にフリッカ生産を開始したPSCからファイバーグラス・デッキのみ購入することにした。デッキは1979年10月、配達料込みで$3,000だったという。

70年代末、PSC製フリッカは1艇約$15,000。1987年(17歳だった少年もすでに妻あり2歳の子供ありの30歳になっていた)に完成した自作艇は材料費だけで約$15,000だったという。自作せず、大学でバイトの金を貯め、残りは70年代末にローンを組んでPSCから丸々1艇買った方が良かったんじゃないか、などと言うのは他人が後で考える意味のない論理だ。

***

この艇の自作の様子はニューズレター『フリッカ・フレンズ』で3号に渡って紹介されている。[第一章はこちら]

このストーリーを読むと、自作した男はもちろん、その親、妻、子供にとって、このフリッカにセイルボート以上の意味があることが分かる。この艇は人手に渡ることなく、親から子へ、またその子へと何世代も受け継がれていくことだろう。

(尚、1987年のPSC製フリッカの新艇の値段は約$30,000だった。)

(写真はいずれも Dave Kenyon 自作の Q.E.D. です。)
フリッカのニューズレター一覧

2010年4月12日月曜日

シンセシス II

このフリッカは1980年のPSC製。1990年から10年間、この艇で東海岸各地のセイリングを楽しんだオーナーは以前ノー’シー(ノース・シー)27で大西洋をシングルハンド横断した経験を持つ。

ハルはそのオーナーによって黒から白に塗り直された。









ティークのブリッジ・デッキも同じオーナーの作。(1983年末頃以前のPSC製フリッカにブリッジ・デッキはない。)



このブリッジ・デッキはプロパン・ボンベの収納場所にもなっている。

コンパニオンウェイ・ハッチ、コックピット・コーミング、コックピット・シートのトリミングなどのティークが目を引くが、本格的なブーム・ギャローズも付いている。

2000年にこの艇を引き継いだ新オーナーはメキシコに別荘を持つカリフォルニアの男だったらしいが、その後どうなったかは不明。フリッカ・ホームページのデータベースにも登録がない。が、その後また他のオーナーの手に渡ったことは十分考えられる。恐らく今は4代目、5代目、6代目くらいのオーナーに愛されているのだろう。

***

尚、このフリッカは上記2000年までの10年間のオーナー時代、奥さん又は共同オーナーの女性が乗っている様子が [以前にも登場] している。

(写真はいずれもPSC製434艇中163番目 Synthesis II です。)
フリッカのニューズレター

2010年4月11日日曜日

差し板収納箱

[セルティック・タートル] の以前のオーナーが考えたドロップ・ボードの収納箱。

箱はステンレス・スチールの板で作り、一等上部を除き、銅版で覆った。銅板はフリッカのインテリアに合わせるための化粧板だ。

木を使っていないから実に軽い。










設置場所はコンパニオンウェイの梯子の横。個室ヘッドの壁に掛ける。

フックを2個付けたところ。(消火器を梯子の反対側に移動する前の写真。)











コンパニオンウェイのすぐ横にあるので差し板の収納場所としては申し分ない。

エンジンへのアクセスが必要な時は、梯子と同様に簡単に取り外してVバースなり、どこにでも置ける。










セレニティーでも作ろうかと思っていたが、本年冒頭クォーター・バースを整理してスペースが出来たので、そこに置いた小型カーペットをS字型に折って、間に1枚づつ(計3枚)置いている。

***

4月10日(土)のSF湾は、風は午前から15~20ノットと絶好ながら、小雨模様だったので、ヤンマー1GM10のメンテの日にすることにした。エンジン・オイルとフィルターの交換。前回から15ヶ月、67.5時間。トランスミッション・オイルは点検してOKなので交換なし(約140時間経過)。今年のシーズンが終わる10月頃、190時間位で交換予定。

その時はミキシング・エルボーの掃除(約190時間になる)、エンジン・ブロックのジンク交換(約110時間になる)もやる。ジンクは今まで11~14ヶ月、60-70時間で交換していたが、いつも75%以上は残っているので、16ヶ月、110時間位まで延ばしてみる。残り部分が50%位になってちょうど良い交換時期になるのではと思う。

***

(写真はいずれもPSC製434艇中413番目 Celtic Turtle、 旧名 Honu, Leprechaun, Turtle です。)
フリッカ・ホームページのデータベース

2010年4月10日土曜日

ビルドアップ (Videos)

* 画面が黒くなっている場合でも、スタート・ボタンをクリックされ度。
* Click "Start" button on the viewers, even when they show nothing but pitch black. Videos will play.



↑ ジャイブして5~6分で6.2~6.5ノットの風。連れ潮のため対地艇速5.1~5.3ノット。



↑ さらに3~4分後、風速13+ノットとなり、対地艇速6.1~6.2ノット。両セイルともフル。ヒール角は約12度。

夏パターンの天候だ。これから時間が経つにつれ西風はもっと強くなる。SF湾の夏風は毎日ハンコを押したようにパターン化しているが、こんな場所は世界でもそうないだろう。(奄美群島あたりでは昼は西風、夜は南風という言葉があるが。)ゴールデン・ゲイトからまともに風が入ってくるセントラル・ベイに行けば、午後25~35ノットくらいの風が楽しめる。40+ノットの風も珍しくない。

***

次のアメリカズ・カップはどこでやるのだろう。サンディエゴがチャレンジャーを決めるルイヴィトン・カップの開催地として声を上げているようだ。しかし艇やサポート・チームの移動、ヴェニュー(レース海域)への慣れ、云々の点からアメリカズ・カップとルイヴィトン・カップを離れたところでやるとしたら、チャレンジャーへの負荷が大きいにちがいない。

個人的にはどこでやるにしても、金のかからないフォーマットとフェアな開催方法を考えて欲しいと思うが、どうなるだろう。

(ビデオはいずれもPSC製434艇中295番 Serenity です。)
USヤフー!フリッカ・グループ

2010年4月9日金曜日

撮影アングル

シアトル西北、サン・ワン諸島海域に錨泊中の [アメリカン・パイ]
1998年、夏の終わり、9月初旬撮影。



















セイルボートのキャビントップに立って撮影したアングルだろうか。パワーボートのフライング・ブリッジやアッパー・デッキから撮ったものだろうか。

アメリカン・パイのように [ラトリンズ] が付いていれば、帆走中でもそこに登って自艇の撮影に一工夫できそうだ。

(写真はいずれもPSC製434艇中 066番、1979年製の American Pie です。)
www.yachtworld.com SEARCH ボタンの上の欄に Flicka と入力して検索するとリストアップされます。

2010年4月8日木曜日

円虹 (Video)

4月3日(土)のデイ・セイルの続き。キャンドル・スティック・ポイント近くで風3~3.5ノット、対地艇速1.5ノットと落ちこんだので、ジャイブして南へ向かう。

* 画面が黒くなっている場合でも、スタート・ボタンをクリックされ度。
* Click "Start" button on the viewer, even when it shows nothing but pitch black. Video will play.



少し日差しが見えて来た。お天道さまのまわりに虹が見える。夏場と同じように、午後に入って晴れ上がり、風も出て来そうだ。

(ビデオはPSC製434艇中295番 Serenity です。)
フリッカ・ホームページ

2010年4月7日水曜日

セイリング・ラグ

ラグ(Rag)とは安っぽい紙に印刷された雑誌や新聞のことだ。アメリカにはセイリング関係の無料配布ラグが多い。殆どが月刊で、マリーナ、船具店、ヨットクラブなど、その手の場所でピックアップできる。

今ではウェブでもダウンロードできるようになった。時間のある時、ページをめくってみてはどうだろう。例:

[48°North(北緯48度)]
シアトルなどパシフィック・ノースウエストをベースにしている。ページがめくられているグラフィックをクリックすると刷り物と全く同じ最新号の電子版が見られる。旧号は下に並んだサムネイルをクリック。Flicka も、たまにクラシファイドに載る。

[Latitude 38(北緯38度)]
表紙の絵をクリック。こちらはPDF版。ネット環境によって全ページ版、前半・後半のページに分かれた版とあるので好みの方をクリック。サンフランシスコ湾がベースだが、全世界のクルーザーたちに読まれている。そのような人たちからの投稿多し。Flicka も、たまにクラシファイドに載る。

尚、latitude38 は月刊の他、2~3日に一度くらい [速報] が出る。

これは3月27日付で書いた [ウィスパー] 。Latitude 38 のクラシファイドに掲載の写真。前オーナーの時のきれいな写真を載せている。



これは前オーナーが他の数艇のフリッカのオーナーたちと2002年 [ギグ・ハーバー] でランデブーした時の写真。



(写真はいずれもPSC製434艇中182番目 Whisper です。)
フリッカ・ホームページ、売りに出ているフリッカのリスト

2010年4月5日月曜日

ミネソタのキット・ボート

(今日の写真はクリックしても大きくなりません。ご容赦。)

クレイグズリストで売りに出たフリッカ。ハル+デッキを購入して後はオーナーが仕上げるオーナー・コンプリーション・ボート(キット・ボート)だ。

オーナー・コンプリーション・ボートは、インテリアの仕上げの度合いや艤装など、オーナーがファクトリーに細かく注文できた。

この艇がどこまでファクトリー仕上げだったのか詳細は不明だが、ポート(窓)も自分で嵌め込んだようだ。






プロペラ・アパチャーが見えるが、船外機(マーキュリー6馬力)を使っているという。

トランサム、左舷側、喫水線に近い方の孔はコックピット排水口。

右舷の高いところについた孔は不詳。もともと船内機搭載でこれはエンジンからの排水・排気口だったのかも知れない。そうだとしたら、これだけ高い位置に付ける根拠は希薄だ。






スターン・プルピット・レイルの上に付けたのはブーム・ギャローズ風のマスト受け。倒したマストを固定するためだけのもの。

左舷側に突き出たものはバックステイを張るためのバンプキンだ。(1978~79年製のPSCファクトリー・フィニッシ艇は右舷側に小さなバンプキンを装着、そこにバックステイを張ってある。)

内装は殆どオーナー仕上げのようだ。

バルクヘッド前方、Vバース側にアイスボックスがあるのが興しろい。レンジはプロパン。



横になっているアルミ製スパーはマストから取り外したブーム。

トレイラーもカスタマイズされている。










ダブル・アクスル(車軸2本)の部分に鉛のバラストのある艇の重心部が来ているので大丈夫なのだろうが、他のトレイラーに比べるとタイヤの後ろの部分がない点、大変ユニーク。海中でのトレイラーからの出納時、作業をしやすくするためだろうか。

(写真はいずれもPSC製434艇中、番数・艇名不詳のフリッカです。)
USヤフー!フリッカ・グループ

メインスル・ラフ (Video)

昨日のビデオ、何かおかしいと気づいた人もいたと思う。

マストのセイル・ストッパーのネジが緩み、メインのラフをマストに取り付けるスラッグ、下の3個がトラック(いわばレイル)からはずれていた。

それに気づかず、メインをフルに揚げ、ジブもたて続けに揚げて、ビデオも撮っていた。

今日のビデオと昨日のビデオを見比べられたい。

* 画面が黒くなっている場合でも、スタート・ボタンをクリックされ度。
* Click "Start" button on the viewer, even when it shows nothing but pitch black. Video will play.



(ビデオはPSC製434艇中295番 Serenity です。)
日本のヤフー!フリッカ・グループ

2010年4月4日日曜日

4月3日土曜 (Video)

朝11時半頃出航。オーバーキャストと呼ばれる満天の曇り空。夏場は午後になるとウソのように雲ひとつない青天となる。

* 画面が黒くなっている場合でも、スタート・ボタンをクリックされ度。
* Click "Start" button on the viewer, even when it shows nothing but pitch black. Video will play.



風速6.2+ノット、対地艇速は逆潮のため約2.6ノット。ベター・ハーフが定期の帰国中のためシングルハンド。といっても、バランスの良いフリッカ故に快適。フル・キールなのでビーム・リーチで艇自身が舵を取ってくれる。

(ビデオはPSC製434艇中295番 Serenity です。)
日本のヤフー!フリッカ・グループ

2010年4月3日土曜日

モトゥ

(今日の写真は3枚目の他はクリックしても大きくなりません。ご容赦。)

ノー'スター製フリッカ最後の20番艇。最初のオーナーはノー'スターのハル+ウェスタリーのデッキを購入して後は自分で仕上げたという。

現オーナーは3代目。ロサンジェルスの近く、ヴェンチュラに係留しているが、今売りに出している。

1999年以来11年のオーナーシップだから、おそらく極めて老齢のため手放すのだろう。

初代は完成させた自艇をセイルすることに喜びを感じ、2代目は1996~1999年にかけ中部カリフォルニアからメキシコまで往復クルーズした。

3代目は1999年にサンフランシスコまで回航、2年後にはリタイアしたのかサンフランシスコから南カリフォルニアの [ヴェンチュラまで回航] 。その後ヴェンチュラから地元のチャネル諸島まで何回もセイリングしたにちがいない。



初代オーナー・フィニッシのインテリア。










レンジは2口でギンボル式のプロパン。ブロイラーも付いている。








新しいメインスルが必要だということだが、艇はメンテさえすれば長生きする。オーナーからオーナーへと引き継がれて生きていく。

この艇の将来にはどういう生活が待っているだろうか。









(写真はいずれもNor'Star製フリッカ20艇中20番目 Motu です。)
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